バイク屋のおやじさん。/スズキ V125 アドレス

いま、ぼくはスズキの125cc に乗っています。三年前に中古で買いました。

バイクの自賠責が切れるので、近所のバイク屋で更新し、ついでに、点検もお願いしようと。。。

 

この店、買ったお店ではないんですが、

「自賠責更新お願いします。点検もしてくださいますか?」

「いいよ。調子悪いところある?」

「後ろブレーキの効きが悪いです。」

「あいよ。」

優しそうな、バイク一筋数十年って感じのいいおやじさんです。

 

あずけて一週間、電話がかかってきました。

「君のバイク、クラッチが寿命だね。クラッチ、ベルトは交換。インジェクションは掃除したよ。もちろんオイルも交換しておいたから。」

引取に行くと、すり減ったクラッチを見せ説明してくれ、見えないところの様子もスマホで見せてくれました。

驚いたのは、塗装の剥がれたスタンドもペイントしてくれてました。

「ああ、なんていいバイク屋さんなんだろう。」

「また一年経ったらオイル交換に来て。その時また点検するから。」

エンジン音も軽やかになり、颯爽と帰路につきました。

赤信号でとまろうとしたら。。。。

おじさーん、後ろブレーキ、なおってないよー。。

—————

追記)スクーターのクラッチは50,000kmは大丈夫だそうです。僕の中古バイクは15,000kmしか走ってません。125ccの中古によくあるメーター改ざん車だったのかもしれません。

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14. さよなら、ハービー。

社会人になり数年がたちました。実家にお盆休みで帰省した時のことです。

車庫にフォルクスワーゲンの「ハービー」がいません。

「お父さん、ハービーは?」

「最近故障ばかりだし、父さんも歳とつたから、オートマのカローラにしたよ。」

と、ポツリ。

「どうせお前ものらないし。。。いつもの車屋さんに、20万で売った。」

親のスネをかじって乗り回したあと、自分で引き取りもしない私としては、うなづくしかしかありません。

自分が不甲斐ないし、最後のお別れもできず、残念な気持ちでいっぱいでした。

父は、ハービーと別れるにあたって、写真を撮って、アルバムを作っていました。

裏表紙には、感謝の気持ちを書いていました。

 

ぼくからも「ありがとう、 ハービー」

フォルクスワーゲン1972年型1300ccのパステルホワイトのハービー。

今もどこかで走ってるかな。

いつか、また白いビートルに乗るから、それまで。

おわり。

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13. 迷走電流。

父のフォルクスワーゲン、ハービーは1972年型1300ccでした。

エンジンフードには四個の空気穴がありました。

たくさん空気を入れてしっかり冷やすためです。

 

がしかし、雨の日が厄介でした。

雨の日はプスン。プスン。エンジンが吹き上がらないのです。

雨がエンジンルームまで入ってくるせいで、プラグコードからパチパチ火花が散っています。

これは迷走電流というもだそうです。

今、思えば火事になってたかもしれません。危ない、危ない。

CRCには「迷走電流を防ぐ」効果もあり、スプレーして布で拭くと良くなります。

迷走電流に効くCRC

でも、雨のたびにCRCで、拭かねばなりませんでした

プラグコードも変えましたが、効果ありません。

これってみなさんありますか。だから、レインガードをつけるのでしょうか?

 

引用 JBUGS よりShttps://www.jbugs.com/product/6464.html

今僕の乗っているのは1200ccで、穴がありませんから雨の心配ありません。

よかった。

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12. 私の「かぶと虫」デビュー

僕は大学生になり、運転免許を取りました。

もちろん初めて運転したのは、実家にあった父のフォルクスワーゲン、「かぶと虫」のハービーでした。 

僕がハービーにばかり乗っていたせいで、父は自分のために別の車を買う羽目になりました。。

ないスネをかじって、本当に悪いことをしたと思います。

「お父さん本当にごめんなさい。」

 

でも、父の ハービー を運転するのは、とても楽しかったんです。

家族の一員だったハービーが、自分で運転すると、相棒になりました。

「あそこに行こうよ。」「はい。」連れて行ってくれます。

そんな相棒の窓に肘をつき、フラット4のエンジン音を聞きながらドライブするのが好きな大学生でした。

 

けれど、楽しい月日はすぐに過ぎ去りました。

 

卒業が決まりました。

大学を卒業後は、父から ハービー を正式に譲り受けて乗りつづけるつもりでした。

が、勤務が決まった先は東京。

駐車場が高いのにびっくり、それに給料が安すぎるのに、二度びっくり。とても車なんか持てません。

あのエンジン音聴きながらの運転の気持ちよさは忘れられません。

また乗りたいなぁ。だけど無理。と思いながら、社会人生活が始まりました。

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11. 母の運転。

僕が小学生の頃の冬休み、家族で母の実家の富山に車で行くことになりました。

中学生の兄、小学校低学年の弟、父と母、僕の5人で、小さなビートルはパンパンです。

当時は名古屋に住んでいたので、富山までは結構な長距離ドライブでした。

数河峠

名古屋を出て最初のうちは、飛騨川沿いの、とても景色のいい道を走っていきました。

岐阜県と富山県の県境の数河峠に差し掛かると、雪がちらほら降ってきました。

「エンジンが後輪の上にあるため雪の上でも。。。。。」 参照 https://thinkingouttabox.wordpress.com/2009/11/08/vintage-vw-beetle-ads/

父と僕は「リアエンジンだから、雪に強いんだよね。本に書いてあったんだもん。」と嬉しくて、ビートルの能力に自信満々でした。

峠の頂点に差し掛かる頃、車がつるつると山道を滑り出しました。道が凍結しているのです。父はコントロールできません。

スルスルーと勢いよく行ったら側道の雪の塊にぶつかって止まりました。走っている車も少ないのも幸いでした。

今思えば 当たりまえですが、 凍った道ではチェーンがないと走れません。雪道を初めて走る父は持っていませんでした。

リアエンジンだろうがFFだろうが関係ないのです。チェーンがあれば走れるし、なければ走れません。

母が、「お父さん、こういう時ブレーキ踏んだらだめ。エンジンブレーキを使うのよ。」と言って、父と運転を交代し、なんと峠を超えてしましました。

父が小さく見えた日でした。

*アイキャッチの写真 参照 http://www.picontrain.com/pots/257/cards/1174

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