──消された設計者ヨーゼフ・ガンツの物語(前編)
ビートルはポルシェ博士。そう信じていた。
ぼくは、1974年式の空冷ビートルに乗っています。
街で新しいポルシェを見かけると、
「こっちが元祖だろ」――そんなふうに、つい思ってしまうんです。
でも最近、ある友人に言われたひと言が、引っかかりました。
「本当は、ガンツって人が作ったんだよね?」
ガンツ? 誰、それ?
そこで初めて、ヨーゼフ・ガンツという、
ほとんど知られていない技術者の名前を知ったのでした。
ヨーゼフ・ガンツという男

CC BY-SA 3.0 File:Josef Ganz 1940s.jpg Created: 1946 Uploaded: 18 October 2008
ヨーゼフ・ガンツ。ドイツ出身のユダヤ系エンジニア。
1930年代初頭、彼は「大衆のための小型車(Volkswagen)」の必要性を強く訴えていました。
当時のクルマは高価で大きく、まだ一部の人しか乗れない時代。
そんな中、ガンツは安くて、誰でも買える車を作ろうとしたのです。
彼が1931年に試作したのが、「Maikäfer(マイカーファー)」──ドイツ語で“5月のカブトムシ”。
カブトムシにはまったく見えないですね。偶然なのでしょう。

Maikäfer
CC BY-SA 3.0 File:Maikafer prototype Josef Ganz 1931.jpg Created: 1931 Uploaded: 18 October 2008
設計思想がビートルにそっくり
外観こそ似ていませんが、当時としては設計は驚くほどビートルに似ています。
- 空冷エンジン
- → 当時は水冷エンジンが主流。空冷はまだ例外的だった
- 独立懸架
- → 当時としては新機構。多くの車はリジッドアクスル(固定車軸)だった
- バックボーンフレーム(中央に太い鋼管)
- → 一般的にはラダーフレーム(はしご型)が主流。この構造はきわめて先進的だった
このシンプルで合理的な構造は、後に登場するビートルの基本レイアウトとほとんど一致しているのです。
つまり、ビートルはガンツが先に考えた構造をそのまま受け継いだ可能性があるのです。
ベルリンのモーターショーの「Standard Superior」

Standard Superior
- CC BY-SA 3.0 File:Standard Superior 1934.jpg Created: 1933 Uploaded: 18 October 2008
その後、ドイツのStandard社がヨーゼフ・ガンツを技術顧問として迎え入れ、彼の革新的な設計思想をもとに「Standard Superior」を発表します。
- 空冷リアエンジン
- リアドライブ
- 独立懸架
- バックボーンフレーム
といった彼のアイデアが、見事に反映されていました。
1933年2月、ベルリンのモーターショーに出品された「Standard Superior」。
この小さな車を見たヒトラーは、「これこそがドイツ国民車の理想形だ」と感じたのかもしれません。
ヒトラーは、ガンツでなくポルシェに開発を依頼
しかし、設計に関わった技術者ヨーゼフ・ガンツがユダヤ系だったことが、事態を大きく変えました。
ヒトラーはモーターショーのわずか3ヶ月後の1933年5月。、ガンツではなくフェルディナント・ポルシェに国民車の開発を依頼します。

Bundesarchiv, Bild 183-B21019 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンク
ヒトラーはユダヤ人のガンツに開発を任せるという選択肢は、ありえなかったのだと思います。
それが――
「ビートルの父は誰か?」という問いに、今なお影を落としているのです。
しかしながら、これらはいずれも状況証拠にもとづく推測であり、事実として確定されたものではありません。
次回予告(第2回へ)
ではなぜ──
ガンツが排除され、ポルシェが「公式なビートルの父」となったのか?
その裏側を、次回は掘り下げてみたいと思います。

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