仙台の中古車店で、あのビートルの匂いがした

中古車販売店のVW1200 空冷ビートル
VW1200、初めてのご対面。くたびれている

東京では、公共交通機関が網の目のように張り巡らされていて、車を持たなくても、何ひとつ困ることはない。
でも、気がつけば僕も50代の真ん中あたり。あるとき、ふと思った。
「一度くらい、自分の車ってやつを持ってみたいな」って。

父が乗っていた、あの白いビートル

もし誰かに、「人生で、もう一度だけ乗るとしたら、どんな車がいい?」と訊かれたら、
僕はたぶん、こう答えていた。。
「父が乗っていた、白いフォルクスワーゲン・ビートル!」って。

僕もしばらく、そのビートルを運転させてもらっていた時期がある。
近場も遠出もしたし、夜のドライブも楽しかった。
部活で怪我をしたときも、父がその車で迎えに来てくれた。

ハンドルの重さも、エンジンの音も、しっかり覚えている。
あの車は、ただの“父の車”じゃなかった。
僕にとっても、大事な時間を一緒に過ごした、ちょっと変わった友達だった。
無口だけど、どこか人懐っこいやつ。

僕は、その“友達”のようなビートルを、もう一度探していた。
白だったら。年式が違っても構わなかった。
でも、ちょっとしたこだわりはあった。

父の乗っていた1972年式ビートル1300  パステルホワイト
父の乗っていた1972年式ビートル1300  パステルホワイト

僕が求めていたのは「ふつう」だった

それは、こういう仕様だった。

  • スチールのダッシュボード
  • フェンダーの上にあるウインカー
  • 安全対策で付けられたヘッドレスト
  • ノーマルの車高
  • スチールホイール

つまり、できるだけ手が加えられていない、ノーマルなビートル。
そういうのが、僕の理想だった。

でも現実ってやつは、大抵ちょっとズレている。
ネットに出てくる中古のビートルは、どれも誰かの好みに合わせてカスタムされていた。

悪くはなかった。むしろ、カッコいいものもたくさんあった。
でも、僕が欲しかったのは「ふつう」だった。
少し古びていて、なんの飾り気もない、普通の車を。

3年越しの出会いは、仙台で

そして、3年が過ぎた。

ある冬の日、ネットの画面の向こうにその車は現れた。仙台にいた。2017年12月のことだ。

カーセンサーで見つけました

“1974年式 1200cc ワンオーナー アトラスホワイト”

休みを使って、すぐに見に行った。

その店は仙台駅から車で30分ほど。周囲は畑や倉庫が点在する、ちょっと寂れた雰囲気の場所だった。

仙台の中古車ショップ
仙台の中古車ショップ ””Google Mapより”

車を降りると、足元はぬかるみだった。

「えっ、ここ、中古車センターだよな?」って思うような力の抜けた雰囲気。

敷地に入って、まず目に飛び込んできたのは、ジャガー。
あの気品あるフロントマスクが、なんと「28万円」の札をつけて、雑草の中にたたずんでいた。

……28万? 思わず二度見した。
近づいてみれば、ボディはくすみ、タイヤは空気が抜けかけている。年式も走行距離も貼っていない。廃車寸前なような感じだ。

ジャガー28万円、奥には朽ち果てたマルサン

そのジャガーの奥に、もう一台──緑のビートル。
マルサン。

ボディは日焼けして、遠目にもひどい状態だとわかった。
きっと、長いことエンジンもかかっていないのだろう。

近づいて見れば、ダメージは思っていた以上に深刻だった。
ボディのいたるところにサビが浮き、ダッシュボードのプラスチックはバリバリに割れている。
シートも破れ、内装はまるで時間に置いていかれたようだった。

なんだか、かわいそうな気がしてきた。
忘れ去られた場所で、ひっそりと朽ちていくのを待っているみたいだった。

でも、そんな敷地の奥に、ぽつんと例のビートルが置かれていた。

初対面、なんだか懐かしい気持ちになった。

匂いで、時空が折れ曲がった

バンパーステーは赤茶けていて、ゴムのパーツは半ば風化していた。塗装は艶を失い、まるで思い出の中にあるセピア色の写真のようだった。

でも、それはまさしく僕が探していた「ふつう」のビートルだった。

「ちょっと、運転してもいいですか?」

そう言ってドアを開けた瞬間、時空がゆっくりと折れ曲がった。

25年も前の記憶が、匂いとともに蘇ってきた。あの独特の、言葉ではうまく言えない、あのビートルの匂い。

人は視覚よりも、嗅覚のほうが記憶を遠くまでつれていけるようだ。僕はその匂いで、完全にやられてしまった。

すべてがボロでも、すべてが揃っていた

エンジンは非力だった。ウインカーは右しか出ない。燃料計は針がピクリとも動かなかった。

それでも、この車を逃したら、もう二度と出会えない。
僕の中の何かが、はっきりとそう告げていた。

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